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日文晨读短文精选欣赏(2)

2011年3月7日 Tempo 没有评论

虹という漢字が、どうして虫偏(むしへん)なのか、不思議に思ったことはありませんか?
爬虫類(はちゅうるい)の動物にも、蛇(へび)、蛙(かえる)など、虫偏がつきますね。
中国の人は、虹というのは、龍が天に上がる姿だと思っていたそうです。それで、虫偏になったというわけです。
龍は想像上の動物ですが、雷雲を呼んで、天に上がるといわれます。
恵みの雨のあとにかかる虹を見て、これこそ、龍の姿だと思ったのでしょう。
虹からは、さまざまな伝説が生まれました。
天と地を結ぶかけ橋、神の世界と人間の世界を結ぶ道、虹の袂(たもと)には宝物が埋まっているなど。。。
空が泣いたあとに劇的に現れる七色の虹は、希望の形そのもの。
大自然から私たちへのすばらしい贈り物用に思えます。

虫偏(むしへん)  名 虫字边
袂(たもと)    名 脚下 袖子
劇的に(げきてきに) 副 戏剧性的
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霧(きり)と靄(もや)、そして霞(かすみ)は、科学的には同じ現象なのだそうです。とはいえ、気象用語に霞はありません。
それでも、ずっと昔から、私たちは、霞は春にたなびくもの、霧は秋に立ち込めるもの、そんなイメージで親しんできました。
「霞の衣(ころも)」は、春に霞がかかっている様子を衣に見立てたものです。
大自然がまとう春の衣装は、霞でできているのですね。空も山も海も道も、うつすらと霞の衣をまとって、ほのぼのとたたずんでいます。
不老不死(ふろうふし)の仙人(せんにん)は、霞を食べていたといわれるところから、「霞の命」は、非常に長寿(ちょうじゅ)であることをいいます。
今のうちに、存分に、霞を味わっておきたいですね。春にしか、そして、私たちの言葉の中にしか、霞を存在しないのですから。。。
たなびく     自五 拖长 霞雾飘渺的样子
立ち込める(たちこめる) 自一 弥漫 笼罩
見立てる(みたてる) 他一 比做
ほのぼの 副 朦胧 模糊
佇む(たたずむ) 自五 伫立
存分に(ぞんぶんに) 副 充分的 尽情的
うつすら  副 隐约 朦胧

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日文晨读短文精选欣赏

2011年3月7日 Tempo 没有评论

推荐原因:
竹是一首无字的诗,竹是一曲奇妙的歌,竹是中华民族品格和情操的象征。无数文人墨客咏竹画竹,丹管一枝,书、画、写尽人间春色,留下了枚不胜数的宝贵诗篇和美丽的画卷。问世间,谁人不敬仰竹子的高风亮节?谁人不敬仰竹子的无私奉献?
欣赏下面这首日文版的赞竹之诗,感受不同文化背景下诗人们对竹子的赞颂之情。

日语原文: 破竹(はたけ)———爽やかな夢

竹を割ることです。

竹は、一節(ひとふし)、割れ目を入れると、そのまま勢(いきお)いよく割れます。

節以外は空洞になっているからですが、本当に気持ちのいいものです。そこから勢い盛んなことを、「破竹の勢い」といいます。

その割れ目がまっすぐなことから、「竹を割ったような性格」という言葉も生まれました。曲がったとこるのない、さっぱりした性格のことです。

雪の重みにも、激しい風にも、折れないしなやかな強さを持つ竹の、別の一面を見る重いです。

竹を割って、人々は、道かな生活道具や遊び道具を作ってきました。

竹をはじめて割った時の爽快感が、さまざまに形を変えて、また新しい夢を導いてくれるようです。

美丽译文: 破竹——–破竹之梦

破竹,就是劈开竹子。

在竹子的一节,如果劈开了一条裂缝,裂缝就会顺势而下,把竹子劈成两半。竹节之外,皆为中空,让人神清气爽,心情愉悦。

因此,用来形容不可阻挡的气势,变出现了“破竹之势”一词。

切口断面顺势之下笔直,由此也常用“如破竹一般”来形容人的性格。这是一种不屈不折,爽直坦率的性格。

狂风吹不折、积雪压不倒的竹子,展现了它柔软坚韧的一面。然而,当劈竹的一瞬间,我们又能看到它性格的另一方面。

自古以来,人们就将竹子劈开,做成各种各样的生活用具和孩子们的玩具。

让我们将破竹那一瞬间感受到的刚毅与爽快,化作自己的力量,将自己带向崭新的明天吧!

词汇天地:
爽やか(さわやか)           (形動)  清爽,爽快
一節(ひとふし)             (名) 一节,一段
割れ目(われめ)            (名) 裂口,裂纹
破竹の勢い(はちくのいきおい)     (慣用) 破竹之势
さっぱり                (副) 整洁,坦率
① 気分がさっぱりする。心情爽快。
② さっぱりした味。 清淡的味道。 さっぱりした人。爽快的人。
しなやか                 (形動) 柔美,优美

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日语阅读:車いすの生活

2011年3月7日 Tempo 没有评论

図書館に行くたびに、待ってましたとばかりに職員が出てくる。4人で、車いすごと2階の閲覧室に運び上げてくれる。ありがたいのだが、職員はへとへとだ。「早くエレベーターをつけてほしい」と車いすの男性がつぶやく。

  「~ばかりに」は「~と言わんばかり」の省略形です。

  每次前往图书馆,就会迎出几个职员,似乎要说正等着您呢。(然后)4人一起连车带人抬上2楼的阅览室。虽然心存感激,但职员却相当辛苦。轮椅上的男人小声念叨着“真希望能早点安装电梯呀”。

  そうした4コマ漫画が、東京に住む村上トオルさん(42)の体験から生まれている。村上さんは慶大生の時、オートバイで転倒し、脊髄(せきずい)を傷つけた。卒業するころ、漫画で生計を立てようと思った。自宅で仕事ができるからだ。漫画雑誌に投稿し、注文が来るようになった。

  这副4格漫画是根据居住在东京的村上徹(42岁)的切身体会创作的。村上就读庆应大学之时,骑摩托车摔倒,造成脊髓受损。他在毕业之际,决定以漫画谋生。因为这是可以在家进行的工作。他向漫画杂志投稿,渐渐的也有人向他约稿了。

  題材は野球やOLだった。村上さんは「歩けず、つらい生活の中で、楽しいことを考えようとした。昔やっていたこと、やれたらいいなということを描いていました」と話す。5年後、筆を折り、会社に勤める。好きな女性ができて、結婚するため、安定した収入がほしかった。

  他当时创作的题材有棒球、女职员之类的。村上先生说到“我无法行走,但在这艰难的生活中我会去考虑一些开心的事情。我画一些过去曾做之事,或者认为如果自己能做该有多么美好这样的事情”。5年后,他放弃绘画,到公司上班。因为有了喜欢的女性,所以希望有份稳定的收入以便结婚。

  しばらくして、障害者の移動を手助けする団体から「機関紙に描かないか」と言われた。結婚して、日々の暮らしも悪くないと思えるようになった。身近な出来事を漫画にした。それが「車椅子(いす)街日記」だ。いまは別の情報誌にも「車イスがゆく」を連載している。どちらもインターネットで読むことができる。

  不久,残疾人移动救助团体邀请他道“来给我们机关报画画吧”。村上先生认为,结婚后日常生活也还过得去。他将日常生活绘入漫画中。这就是《轮椅街日记》。如今其他信息杂志也在连载《轮椅行去》。这两部漫画都能在互联网上阅读。

  プールで腕だけで泳いでいると、おぼれたと勘違いされる。お土産を買いすぎて、坂道を上れない。ふっと笑いを誘われる。車いす生活の現実もちらりと見える。

  诸如在泳池中只能挥动胳膊游泳,而被人误以为是溺水。因为购买太多纪念品,轮椅上不了坡道。这些漫画令人不觉莞尔。但也隐约可见轮椅生活的现实境遇。

  昨年、女の子が生まれ、うれしいことが加わった。村上さんは「車いすの生活にも、楽しいことがある。そのことをもっと伝えたい」と語る。

  去年村上喜得千金。真是喜上加喜。村上先生说到“轮椅生活也是有开心之事的。我想将这些开心传递给大家”。

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中日对照阅读:《淡淡的寂寞》

2011年2月11日 Tempo 没有评论

小さい寂しさ

武者小路実篤

時々、別に理由もなく寂しさを感じることがある、こう言う時、何か書きたくなる、書くことでその寂しさに打ち克つことが出来る気になる。だからこの寂しさを感じることは悪いこととは思わない。

何かに餓えている。それもごく静かに淡い。何かを求めている、その求めているものは何か自分にもわからない。そう云う時、何か仕事がしたくなる。何かに親しみを感じる、自分の心をうちあけたくなる。

西(さい)行(ぎょう)も芭蕉も寂しさを求めていた。その寂しさはもっと痛切なものであろう。それだけそのその寂しさからのがれることは難しかったろう。僕は時々感じるのは、その子供のようなものだ。或いはその新(しん)芽(め)のようなものだ。

どうにもならないと言う程の寂しさではない。丁度いいくらいの寂しさである。

それだけ其処から生まれるものも、そう真剣な、どうにもならないと言うものではない。何か書くか、散歩かするか、いい画を見るか、すればそれで慰められる程度だ。

しかしこの寂しさは人を真面目にする。しんみりさせる。正直に何か求めさせる。謙遜にしてくれる。

だから僕はそう言う寂しさを、清いものとして愛するのである。馬鹿にしたくないと思っている。

清い憧れである。

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我时常会感到一阵淡淡的寂寞。这时,我便想写点什么,觉得写一点东西便可排遣这寂寞。所以我并不认为寂寞有什么不好。

寂寞,是某种饥渴,静静的、淡淡的。寂寞,是某种企求,尽管自已都不甚明了。当寂寞来临,就想要干点什么,会感到某种温馨,就想畅开心扉。

西行、芭蕉都曾寻求过寂寞。那大概是某种更加深刻的寂寞吧。而我时不时所感受到的,只是孩童似的寂寞,或者说是嫩芽般的寂寞。

不是什以不可自拔的寂寞,而是恰到好处的寂寞。

其程度也并不太严重、远非不可救药。只要写一点东西、散散步、看一幅好画什么的便可得以慰籍。

然而这寂寞却能使人认真。使人沉静。使人真心地去追求一些什么。使人懂得谦逊。

所以我喜欢这种寂寞,把它当成一种清纯的东西,而不欲轻薄待之。

寂寞,是一种清纯的憧憬。

中日对照阅读:《白云愁色》

2011年2月11日 Tempo 没有评论

白雲愁色(はくうんしゅうしょく)

一匹のトンボが夏の終わりを告げるわけでない。一片の白雲が秋の到来を知らせるわけてもない。しかし、里に下りてきた赤トンボをよく見かけるようになった。雲の風情(ふぜい)も夕焼け空も、今までとは違う。そして高校野球の終わりは、夏の終わりを告げる。

「夏の終わり」には、客がいっせいに帰ったあとの食卓のような、むなしさがある。人の来なくなった海岸のヨシズ張りの小屋で「氷」のノレンがぱたぱたと鳴るときのような、白々(しらじら)しさがある。夏の情熱を吹き込んで、きらきら燃えていた太陽が、すべてが終わろうとしているのに、まだ無神経に輝きつづけている。そのそらぞらしさが、夏の終わりなのだろう。

白雲愁色の季節だ、と倉嶋厚(くらしまあつし)「お茶(ちゃ)の間歳時記(まさいじき)」に、阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)のことが書かれていた。「明月帰らず碧海に沈み白雲愁色蒼梧に満つ」とは、仲麻呂の死を悼んだ李白の詩である。仲麻呂は十六歳で唐に渡った。けんらんと文化の花がさく玄宗皇帝の世だった。彼はそのまま長安の都に住みついたが、望郷の思いは断(た)ち難(がた)かった。

五十二歳になって、日本に帰ろうとする。船は暴風で沈み、仲麻呂は水死したと信じられた。李白がこの友人の死を悲しんだのが「白雲愁色」の一篇である。実は、仲麻呂は九死に一生得て、今のベトナムに漂着した。その後長安に戻ったあと、ハノイの長官をやったり、帝室図書館長をつとめて七十歳で死んだ。

中国にあること実に五十三年。その間、日本からの留学生の面倒をよく見た。十六歳の仲麻呂といっしょに、吉備真備(きびのまきび)も二十二歳で唐に行った。彼は中国十八年で日本に帰り、政界の荒海(あらうみ)を渡って、右大臣(うだいじん)にまで出世した。今様(いまよう)にいえば、二人とも奈良時代のフルブライト留学生だったが、命がけの旅だった点が現在とまったく違う。

ジェット機が白雲に乗って、東京―北京間を四時間半で飛ぶ時代となった。

深代 惇郎 「天声人語」

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白云愁色

一只蜻蜓并不报道夏日的终结。一片白云并不预告秋日的来临。然而,乡村里,红蜻蜓已随处可见。云的容姿、天边的晚霞都已改变了模样。而此时高中棒球赛的落幕,则宣告了夏日的终结。

“夏日的终结”就像顾客离席归去后的餐桌,空虚无奈。就像海边那已无人问津的席棚小店上那写着"冰"字的幌子,徒在风中飘摆作响而兴尽意阑。然而,在这一切行将没落之际,倾注着夏日浓情、煌煌燃烧着的太阳却依然懵懵懂懂地挥洒着光芒。而这种强装的声势,正所谓夏日的终结吧。

“那是个白云愁色的季节”,仓岛厚的《餐室岁时记》中记述到阿倍仲麻吕时,曾这么写道。而“明月不归沉碧海,白云愁色满苍梧”则是李白为仲麻吕所作的悼亡诗句。仲麻吕十六岁渡海赴唐。正值文采绚烂的玄宗之世。他就此居留都城长安,然而乡愁之念终难断绝。

五十二岁那年,欲回日本。不料船遇暴风,皆以为仲麻吕已溺水身亡。李白痛悼好友之死,伤心之余而写下了“白云愁色”之作。其实,仲麻吕在九死一生之后,漂到了现在的越南。之后他重返长安,曾任河内的地方官和皇家图书馆长等职,享年七十而终。

阿倍仲麻吕在中国生活了五十三年之久。其间,他非常照顾来自日本的留学生。当年,与年仅十六岁的仲麻吕同赴大唐的,还有时年二十二岁的吉备真备。而吉备真备在留学中国十八年之后回到日本,历渡宦海波涛,青云直上,官至右大臣之职。用现在的话来说,这两位可称是奈良时代的富布赖特留学生,而与现在不同的是,他们当时踏上的是一条性命悠关的旅途。

斗转星移,如今喷气机乘白云而飞,由东京到北京仅需短短的四个半小时了。

深代 惇郎 《天声人语》

中日对照阅读:《地獄変》

2011年2月10日 Tempo 没有评论

地獄変

芥川龍之介       

地獄変の屏風と申しますと、私はもうあの恐ろしい画面の景色が、ありありと眼の前へ浮んで来るやうな気が致します。

同じ地獄変と申しましても、良秀の描きましたのは、外の絵師のに比べますと、第一図取りから似て居りません。それは一帖の屏風の片隅へ、小さく十王を始め眷属(けんぞく)たちの姿を描いて、あとは一面に紅蓮(ぐれん)大紅蓮の猛火が剣山刀樹も爛(ただ)れるかと思ふ程渦を巻いて居りました。でございますから、唐(から)めいた冥官(めうくわん)たちの衣裳が、点々と黄や藍を綴つて居ります外は、どこを見ても烈々(れつれつ)とした火焔の色で、その中をまるで卍(まんじ)のやうに、墨を飛ばした黒煙と金粉を煽つた火の粉とが、舞ひ狂つて居るのでございます。

こればかりでも、随分人の目を驚かす筆勢でございますが、その上に又、業火(ごふくわ)に焼かれて、転々と苦しんで居ります罪人も、殆ど一人として通例の地獄絵にあるものはございません。何故かと申しますと良秀は、この多くの罪人の中に、上は月卿雲客(げつけいうんかく)から下は乞食非人まで、あらゆる身分の人間を写して来たからでございます。束帯のいかめしい殿上人(てんじやうびと)、五つ衣(ぎぬ)のなまめかしい青女房、珠数をかけた念仏僧、高足駄を穿いた侍学生(さむらひがくしやう)、細長(ほそなが)を着た女(め)の童(わらは)、幣(みてぐら)をかざした陰陽師(おんみょうじ)――一々数へ立てゝ居りましたら、とても際限はございますまい。兎に角さう云ふいろ/\の人間が、火と煙とが逆捲く中を、牛頭(ごづ)馬頭(めづ)の獄卒に虐(さいな)まれて、大風に吹き散らされる落葉のやうに、紛々と四方八方へ逃げ迷つてゐるのでございます。鋼叉(さすまた)に髪をからまれて、蜘蛛よりも手足を縮めてゐる女は、神巫(かんなぎ)の類(たぐひ)でゞもございませうか。手矛(てほこ)に胸を刺し通されて、蝙蝠(かはほり)のやうに逆になつた男は、生受領(なまずりやう)か何かに相違ございますまい。その外或は鉄(くろがね)の笞(しもと)に打たれるもの、或は千曳(ちびき)の磐石(ばんじゃく)に押されるもの、或は怪鳥(けてう)の嘴にかけられるもの、或は又毒龍の顎(あぎと)に噛まれるもの――、呵責(かしゃく)も亦罪人の数に応じて、幾通りあるかわかりません。

が、その中でも殊に一つ目立つて凄じく見えるのは、まるで獣(けもの)の牙のやうな刀樹の頂きを半ばかすめて(その刀樹の梢にも、多くの亡者が々(るゐ/\)と、五体を貫かれて居りましたが)中空(なかぞら)から落ちて来る一輛の牛車でございませう。地獄の風に吹き上げられた、その車の簾(すだれ)の中には、女御(にょうご)、更衣(こうい)にもまがふばかり、綺羅(きら)びやかに装つた女房が、丈の黒髪を炎の中になびかせて、白い頸(うなじ)を反(そ)らせながら、悶え苦しんで居りますが、その女房の姿と申し、又燃えしきつてゐる牛車と申し、何一つとして炎熱地獄の責苦(せめく)を偲ばせないものはございません。云はゞ広い画面の恐ろしさが、この一人の人物に輳(あつま)つてゐるとでも申しませうか。これを見るものゝ耳の底には、自然と物凄い叫喚の声が伝はつて来るかと疑ふ程、入神の出来映えでございました。

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地狱变相图

芥川龙之介

一说起地狱变相图,我就觉得那令人毛骨悚然的画面似乎就会立刻浮现在眼前。

虽说同是地狱变相图,但是拿良秀所画的与别的画师所画的一比,就会发现首先构图就不一样。他画的地狱变相图,只在屏风的一角上,小小地,画出了十殿阎王和小鬼们的模样。其余,便是一片涡卷翻腾的熊熊烈火,铺天盖地,火势之猛似可销毁刀山剑树。除了唐土式样的判官的衣裳上,斑斑点点地抹了些黄色和兰色以外,全都是烈焰的之色,其中泼墨绘出的黑烟和用金粉撒出的火星,如卍字形一般,飞旋狂舞。

仅如此,其笔势已足以使人瞠目结舌了,然而更有甚者,那些被业火烧得满地打滚、痛苦不堪的罪人,也几乎无一人是在通常的地狱变相图中所能见到的。你道为何,只因良秀在图中将上至公卿大员,下至乞丐贱民,各种身份的人物,描摹殆尽。有峨冠博带的庙堂高官,也有长衣飘拂、娇媚动人的小宫人;胸挂佛珠口颂佛号的和尚;足登高屐的伺读书童;身穿对襟小袄的豆蔻女童;手持祭器的阴阳先生——林林总总,数不胜数。总之,如此这般的各色人等,全都在烟熏火燎之中,饱受牛头马面的蹂躏,又如同风中的落叶,纷纷攘攘地四散奔逃。那长发被钢叉卷住,手脚缩住比蜘蛛还紧的女人,不就是巫师等辈吗?那被长矛刺透了胸膛,蝙蝠一般倒挂着的男人,无疑是碌碌无为的地方官之流。此外,尚有被铁尺鞭打的;被压在千均磐石之下的;或为怪鸟啄食,或被毒龙啮咬——惩罚的手段也与罪人的人数一样多,不计其数。

然而,在这其中最令人触目惊心的是,是一辆从空中摔下的,一半已掠过了兽牙般的刀树(那刀树的树梢上挂着不少死者,五内洞穿)树顶的牛车。从被地狱之风吹起的车廉中,可以看见里面有一位女御、更衣模样,衣着华丽的宫人。她那长长黑发的飘散在烈焰之中,雪白的玉颈扭转反侧,正在苦苦地挣扎着。无论这宫人的身姿,还是烈焰火正浓的牛车,无不让人切身感受到烈火地狱的折磨之苦。或可谓,整个宽宽的画面上的恐怖都已聚焦到了这一个人物的身上。此画是如此的出神入化,以至于当你在看这幅画时,几乎会怀疑自己的耳朵是不是听到从画中传来的凄厉的呼叫声。

译后: 《地狱变相图》是芥川龙之介的名作,讲述了一个形容丑陋,性格怪僻的画师良秀给权贵阁老画屏风画《地狱变相图》的凄切感人的故事。译文中提到的牛车里的盛装宫人,其实是良秀心爱的女儿。他女儿聪明灵利又貌美如花,被阁老招进府内当侍女。因不从好色的阁老,当良秀提出为了画得逼真,要烧一辆牛车来看的时候,阴险的阁老便命人将她捆入车内,一起烧掉。良秀眼睁睁地看着自己的女儿在大火中挣扎,无力相救,同时出于他观摩物象的怪癖,竟忘了要救自己的女儿。完成了《地狱变相图》这幅杰作之后,良秀也就悬梁自尽了。

中日对照阅读:《月夜行舟》

2011年2月10日 Tempo 没有评论

ころは夏の最中(もなか)、月影さやかなる夜であった。僕は徳二郎のあとについて田んぼにいで、稲の香高きあぜ道を走って川の堤に出た。堤は一段高く、ここに上(のぼ))れば広々とした野づら一面を見渡されるのである。まだ宵ながら月は高く澄んで、さえた光を野にも山にもみなぎらし、野末には靄(もや)かかりて夢のごとく、林は煙をこめて浮かぶがごとく、背の低い川やなぎの葉末に置く露は玉のように輝いている。小川の末はまもなく入り江、潮に満ちふくらんでいる。船板をつぎ合わしてかけた橋の急に低くなったように見ゆるのは水面の高くなったので、川やなぎは半ば水に沈んでいる。

堤(つつみ)の上はそよ吹く風あれど、川づらはさざ波だに立たず、澄み渡る大空の影を映して水の面(おも)は鏡のよう。徳二郎は堤をおり、橋の下につないである小舟のもやいを解いて、ひらりと乗ると、今まで静まりかえっていた水面がにわかに波紋を起こす。徳二郎は、

「坊様早く早く!」と僕を促しながら櫓(ろ)を立てた。

僕の飛び乗るが早いか、小舟は入り江のほうへと下りはじめた。

入り江に近づくにつれて川幅次第に広く、月は川づらにその清光をひたし、左右の堤は次第に遠ざかり、顧みれば川上はすでに靄にかくれて、

舟はいつしか入り江にはいっているのである。

広々した湖のようなこの入り江を横ぎる舟は僕らの小舟ばかり。徳二郎はいつもの朗らかな声に引きかえ、この夜は小声で歌いながら静かに櫓(ろ)をこいでいる。潮の落ちた時は沼とも思わるる入り江が高潮と月の光とでまるで様子が変わり、僕にはいつも見慣れた泥臭(どろくさ)い入り江のような気がしなかった。南は山影暗くさかしまに映り、北と東の平野は月光蒼茫(げっこうそうぼう)としていずれか陸、いずれか水のけじめさえつかず、小舟は西のほうをさして進むのである。

西は入り江の口、水狭くして深く、陸迫りて高く、ここを港にいかりをおろす船は数こそ少ないが形は大きく大概は西洋形の帆前船で、その積み荷はこの浜でできる食塩、そのほか土地の者で朝鮮貿易に従事する者の持ち船も少なからず、内海を行き来する和船もあり。両岸の人家低く高く、山に拠(よ)り水に臨むその数数百戸(すひゃくこ)。

入り江の奥より望めば舷燈(げんとう)高くかかりて星かとばかり、燈影低く映りて金蛇(きんだ)のごとく。寂漠(せきばく)たる山色月影のうちに浮かんで、あだかも絵のように見えるのである。

の進むにつれてこの小さな港の声が次第に聞こえだした。僕は今この港の光景を詳しく説くことはできないが、その夜僕の目に映って今日

なおありありと思い浮かべることのできるだけを言うと、夏の夜の月明らかな晩であるから、船の者は甲板にいで、家の者は外にいで、海にのぞむ窓はことごとく開かれ、ともし火は風にそよげども水面は油のごとく、笛を吹く者あり、歌う者あり、三味線の音につれて笑いどよめく声は水に臨める青楼より起こるなど、いかにも楽しそうな花やかなありさまであったことで、しかし同時にこの花やかな一幅の画図(がず)を包むところの、寂寥(せきりょう)たる月色山影水光を忘るることができないのである。

帆前船の暗い影の下をくぐり、徳二郎は舟を薄暗い石段のもとに着けた。

国木田独歩(くにきだどっぽ)  「少年(しょうねん)の悲哀(ひあい)」

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月夜泛舟

时值盛夏,月夜鲜明。我跟随德二郎来到田间,沿着稻香馥郁的田埂,走上了河堤。河堤高高隆起,一上河堤,便可眺望整个广袤的田野。此时尚是初夜时分,高高的月亮将清澈澄静的光芒,洒满了田野、山岗。远处,田野尽头,薄霭朦胧,如在梦中;树林含烟,如飘似浮;低矮的河柳,叶尖挂露如珠,晶莹闪烁。小河的尽头便是海湾,此刻晚潮正满。水面高高的,使得用船板拼合起来的小桥显得很低,河边的杨柳也有半个身子浸在了水里。

河堤上虽然微风习习,河面上却波澜不惊,如同镜子一般,映出广袤清澈的天空。德二郎下得河堤,扯开系在桥下的小船的缆绳,轻巧地跳了上去,本来沉静的河水,顿时波纹四起。

“少爷,快来,快来!”德二郎一边催我,一边将橹支起。

等我一跳上去,船便立刻朝着海湾处滑了出去。

随着小船接近海口,河面渐渐变宽,清澈的月光浸润着水面,左右的堤岸,渐行渐远,回头望去,已然隐身于雾霭之中了。不知何时,小船已驶入了海湾。

宽广的海湾如同湖泊一般,而在此时此地泛舟而过的,也仅是我们这一条船。德二郎也一反常态,不作高歌,代之以轻声低唱,他一边哼着小曲,一面稳稳当当地摇着橹。这个退潮时如同沼泽般的海湾,在夜潮和月光下完全变了模样,再不是我看惯了的脏兮兮的样子了,南面的山影黑黢黢地倒映在水中;东、北两面的平原,月色苍茫,已分辨不出水陆的分际了。我们的小船正朝着西面航行着。

西面是海湾的入口,水狭而深,岸促且高,在此处下锚停泊的船只数量虽不多,但大抵都是大型的西洋式帆船,所载的货物为本地出产的食盐。此外,本地做朝鲜生意的人的船也为数不少。也有往来于内海的老式木船。两岸的人家,远近高低,据山临水地分布着,约数百户。

从海湾的深处望去,舷灯高挂,疑为星辰;灯影低映,又如同金蛇一般。灯影船形,浮在寂寥的山色月影中,望去真是如在画中一般。

小船渐渐前行,前面小港里发出的声音也开始传入了我的耳朵。我如今无法将此光景一一说尽,但那夜亲眼目睹的景象回想起来依然历历目,尚能述
其大概:由于这是一个月光皎洁的夏夜,船上的人都上了甲板,居家的人也都来到了户外,临海的窗户全部敞开。灯影摇曳,水滑如油,有吹笛的,有唱歌的,三弦声铮铮纵纵,欢笑声热闹盈盈,从临水而列的秦楼楚馆里,传来一派欢乐、繁华的景象。然而,我无法忘怀的,是此时此地,包裹在这繁华图中的寂寥的山月水影。

穿过大帆船的阴影,德二郎将船停在了昏暗的石级。.

国木田 独步 《少年的悲哀》

中日对照阅读:《羅生門》

2011年2月10日 Tempo 没有评论

ある日の暮方の事である。一人の下人(げにん)が、羅生門(らしょうもん)の下で雨やみを待っていた。

広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々丹塗(にぬり)の剥(は)げた、大きな円柱(まるはしら)に、蟋蟀(きりぎりす)が一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路(すざくおおじ)にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠(いちめがさ)や揉烏帽子(もみえぼし)が、もう二三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。

何故かと云うと、この二三年、京都には、地震とか辻風(つじかぜ)とか火事とか饑饉とか云う災がつづいて起った。そこで洛中のさびれ方は一通りではない。旧記によると、仏像や仏具を打砕いて、その丹(に)がついたり、金銀の箔がついたりした木を、路ばたにつみ重ねて、薪(たきぎ)の料(しろ)に売っていたと云う事である。洛中がその始末であるから、羅生門の修理などは、元より誰てて顧る者がなかった。するとその荒れ果てたのをよい事にして、狐狸(こり)が棲む。盗人(ぬすびと)が棲む。とうとうしまいには、引取り手のない死人を、この門へ持って来て、棄てて行くと云う習慣さえ出来た。そこで、日の目が見えなくなると、誰でも気味を悪るがって、この門の近所へは足ぶみをしない事になってしまったのである。

その代りまた鴉がどこからか、たくさん集って来た。昼間見ると、その鴉が何羽となく輪を描いて、高い鴟尾(しび)のまわりを啼きながら、飛びまわっている。ことに門の上の空が、夕焼けであかくなる時には、それが胡麻をまいたようにはっきり見えた。鴉は、勿論、門の上にある死人の肉を、啄(ついば)みに来るのである。――もっとも今日は、刻限が遅いせいか、一羽も見えない。ただ、所々、崩れかかった、そうしてその崩れ目に長い草のはえた石段の上に、鴉の糞が、点々と白くこびりついているのが見える。下人は七段ある石段の一番上の段に、洗いざらした紺の襖(あお)の尻を据えて、右の頬に出来た、大きな面皰(にきび)を気にしながら、ぼんやり、雨のふるのを眺めていた。

作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」と書いた。しかし、下人は雨がやんでも、格別どうしようと云う当てはない。ふだんなら、勿論、主人の家へ帰る可きはずである。所がその主人からは、四五日前に暇を出された。前にも書いたように、当時京都の町は一通りならず衰微(すいび)していた。今この下人が、永年、使われていた主人から、暇を出されたのも、実はこの衰微の小さな余波にほかならない。だから「下人が雨やみを待っていた」と云うよりも「雨にふりこめられた下人が、行き所がなくて、途方にくれていた」と云う方が、適当である。その上、今日の空模様も少からず、この平安朝の下人の Sentimentalisme に影響した。申(さる)の刻(こく)下(さが)りからふり出した雨は、いまだに上るけしきがない。そこで、下人は、何をおいても差当り明日の暮しをどうにかしようとして――云わばどうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめもない考えをたどりながら、さっきから朱雀大路にふる雨の音を、聞くともなく聞いていたのである。

雨は、羅生門をつつんで、遠くから、ざあっと云う音をあつめて来る。夕闇は次第に空を低くして、見上げると、門の屋根が、斜につき出した甍(いらか)の先に、重たくうす暗い雲を支えている。

どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選んでいる遑(いとま)はない。選んでいれば、築土(ついじ)の下か、道ばたの土の上で、饑死(うえじに)をするばかりである。そうして、この門の上へ持って来て、犬のように棄てられてしまうばかりである。選ばないとすれば――下人の考えは、何度も同じ道を低徊した揚句に、やっとこの局所へ逢着(ほうちゃく)した。しかしこの「すれば」は、いつまでたっても、結局「すれば」であった。下人は、手段を選ばないという事を肯定しながらも、この「すれば」のかたをつけるために、当然、その後に来る可き「盗人になるよりほかに仕方がない」と云う事を、積極的に肯定するだけの、勇気が出ずにいたのである。

下人は、大きな嚔(くさめ)をして、それから、大儀そうに立上った。夕冷えのする京都は、もう火桶が欲しいほどの寒さである。風は門の柱と柱との間を、夕闇と共に遠慮なく、吹きぬける。丹塗(にぬり)の柱にとまっていた蟋蟀も、もうどこかへ行ってしまった。

下人は、頸(くび)をちぢめながら、山吹(やまぶき)の汗袗(かざみ)に重ねた、紺の襖の肩を高くして門のまわりを見まわした。雨風の患(うれえ)のない、人目にかかる惧(おそれ)のない、一晩楽にねられそうな所があれば、そこでともかくも、夜を明かそうと思ったからである。すると、幸い門の上の楼へ上る、幅の広い、これも丹を塗った梯子(はしご)が眼についた。上なら、人がいたにしても、どうせ死人ばかりである。下人はそこで、腰にさげた聖柄(ひじづか)の太刀(たち)が鞘走(さやばし)らないように気をつけながら、藁草履をはいた足を、その梯子の一番下の段へふみかけた。

それから、何分かの後である。羅生門の楼の上へ出る、幅の広い梯子の中段に、一人の男が、猫のように身をちぢめて、息を殺しながら、上の容子(ようし)を窺っていた。楼の上からさす火の光が、かすかに、その男の右の頬をぬらしている。短い鬚の中に、赤く膿を持った面皰のある頬である。下人は、始めから、この上にいる者は、死人ばかりだと高を括っていた。それが、梯子を二三段上って見ると、上では誰か火をとぼして、しかもその火をそこここと動かしているらしい。これは、その濁った、黄いろい光が、隅々に蜘蛛の巣をかけた天井裏に、揺れながら映ったので、すぐにそれと知れたのである。この雨の夜に、この羅生門の上で、火をともしているからは、どうせただの者ではない。

下人は、守宮(やもり)のように足音をぬすんで、やっと急な梯子を、一番上の段まで這うようにして上りつめた。そうして体を出来るだけ、平(たいら)にしながら、頸を出来るだけ、前へ出して、恐る恐る、楼の内を覗いて見た。

見ると、楼の内には、噂に聞いた通り、幾つかの死骸が、無造作に棄ててあるが、火の光の及ぶ範囲が、思ったより狭いので、数は幾つともわからない。ただ、おぼろげながら、知れるのは、その中に裸の死骸と、着物を着た死骸とがあるという事である。勿論、中には女も男もまじっているらしい。そうして、その死骸は皆、それが、かつて、生きていた人間だと云う事実さえ疑われるほど、土を捏ねて造った人形のように、口を開(あ)いたり手を延ばしたりして、ごろごろ床の上にころがっていた。しかも、肩とか胸とかの高くなっている部分に、ぼんやりした火の光をうけて、低くなっている部分の影を一層暗くしながら、永久に唖(おし)の如く黙っていた。

下人は、それらの死骸の腐爛した臭気に思わず、鼻を掩(おお)った。しかし、その手は、次の瞬間には、もう鼻を掩う事を忘れていた。ある強い感情が、ほとんどことごとくこの男の嗅覚を奪ってしまったからだ。

下人の眼は、その時、はじめてその死骸の中に蹲っている人間を見た。檜皮色(ひわだいろ)の着物を着た、背の低い、痩(や)せた、白髪頭(しらがあたま)の、猿のような老婆である。その老婆は、右の手に火をともした松の木片(きぎれ)を持って、その死骸の一つの顔を覗きこむように眺めていた。髪の毛の長い所を見ると、多分女の死骸であろう。

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黄昏时分,罗生门下,一个不知是谁家的下人在此躲雨。
空荡荡的门洞里,就此一人。除此之外,便只有一匹蟋蟀,蹲伏在朱漆斑剥陆离的粗大的柱子上了。罗生门正当朱雀大道上,按理,该有几个戴斗笠或软帽的行人来此避雨。然而,现在却只他一个,再无旁人了。

若问为甚,只因近二三年来,京都灾祸连连,地震、龙卷风、大火、饥懂等般,将此若大个京城闹得凋敝不堪。据旧时所记,当时竟有将佛像、佛事家什砸碎、将饰有朱漆以及金箔银箔的木头堆置路旁,当柴薪卖的事情。京里的境况既已如此,自无人顾及罗生门的修缮等事了。一任其废弃后,便有狐狸出没,盗贼蛰居。甚至日久成俗,只管将些无主的尸首拖了进来。故尔日交黄昏之际,便阴森可怖,再无人近前了。

人虽不来,却有许多的乌鸦,也不知来自何处,成群地飞来,聚集于此。白天,无数的乌鸦绕着高高的飞檐,啼叫盘旋。特别是在门楼上方,每到夕阳似火时分,那些乌鸦便像是洒在天空的芝麻一样,清晰可见。自不待言,那乌鸦是为啄食死人的肉而来的。不过,今日或许时辰已晚,竟一只也看不到。然而,在那即将坍塌,裂缝处已长出青草的石级上,乌鸦那发白的粪便随处可见。那下人身穿一领洗得褪了色的青衣,在共有七级的石阶的最上面一级,一屁股坐了下来,呆呆地看着雨点落下来。右脸上长出的那颗大粉刺又不时地惹得他心烦意乱。

笔者前面写到,“下人在此躲雨”。实在是雨止之后,他也没什么特别的差使可做。若在平时,他自然可以回到主人家里去。然而,四五日前他已被主人打发了出来。前面已经提到,当时的京都城已衰败不堪。眼下这个下人,被伺候了多年的主人打发出来,也只是此种衰败的些许余波而已。所以,与其说“下人在此躲雨”,还不如说是,“被雨所困的下人,正走投无路,困顿于此”更加妥当。而今天的天气,又极大地加深了那平安朝(注:平安朝,公元七九四年—一九二年。相当于中国的唐朝末年到南宋初年。)下人的感伤。雨,刚过申时便已下了起来,到目今时分也不见要停。因此,那下人只得一边漫无边际地思忖着明日那迫在眉睫毛的生计——即所谓明知无望,也止不住地非要去伤脑筋——,一边心不在焉地听着朱雀大路上那持续已久的雨点声。

雨,将罗生门团团裹住,哗哗的雨声从四面八方聚合而来。暮色已将天空压得低低的,抬头望去,门楼顶上斜飞而出的檐头瓦已抵住了沉甸甸的乌云。

既要在无望中找出活路来,便无遐顾及手段了。若要顾及手段,便只有饿死在土墙下、街道旁,然后再像死狗一样,被人拖到这门楼上扔掉。如若不择手段呢?——那下人在同一条脑筋上兜了几圈,最后终于撞到了这里。可是到了“如若”这里,便再也想不下去了。那下人虽己认可了不择手段,而要实现这样的“如若”,接踵而至的自然是“只有去做盗贼”了,而对此他尚缺乏主动认同的勇气。

那下人打了一个大喷嚏,吃力站起身来,夜凉己重的京城已冷得要烤火盆了。风随同暮色肆无忌惮地在门柱间穿行而去。那只蹲伏在朱漆圆柱上的蟋蟀早已不知了去向。

下人缩着脖子,耸起青衣内衬着黄色汉衫的肩头,打量着门楼四周。他寻思着,若有一既无风雨之患,又能避人耳目之地,就先对付一夜再说。说来也巧,这时一架通向门楼的、宽宽的、也漆着朱漆的楼梯映入了他的眼里。楼上要说有人,也只有死人罢了。于是,那下人一面留心不让腰里那把木柄长刀从鞘中脱落,一面抬起穿着草鞋的脚,踏向楼梯最下面的一级。

片刻之后,在通向罗生门门楼的宽宽的楼梯中段,便出现一条汉子,将身子缩地猫儿似地,屏息窥视着上面的动静。而楼上射来的火光,淡淡地照到了这汉子的右颊。短胡子中是一颗红肿化脓的粉刺。起先,这个下人以为上面尽是死人,根本没放在心上。不料,上得几级楼梯一看,便发现还有人点着火,而且这火光还在这里那里地游动着。昏暗发黄火光,在挂满了蜘蛛网的阁楼上晃荡,所以一看便知。他心中暗忖,在这样一个风雨之夜,竟敢在这罗生门上亮着火,定非等闲之辈。

那下人壁虎似地蹑手蹑脚,好不容易爬到了这陡直的楼梯的最上一级。他尽量匍匐下来,伸长脖子,战战兢兢地向楼内打量。

果然,正如传闻所言,楼里胡乱地扔着几具死尸,就火光照到的地方看,地方比想象中的要小,也看不出到底有多少具尸体。昏暗朦胧中,只觉得里面有光屁股的,也有穿着衣服的。自然,男女都有。而且,这些尸体叫人全然不信他们是曾经活过的人,倒像是泥捏的假人,张着嘴,摊着胳臂,横七竖八地躺在楼板上。肩膀以及胸脯这些突出的部位,浴在朦胧的火光里,使得凹陷部位愈加地阴沉黑暗,无不似哑巴一般永久地沉默着。

死尸腐烂的浓臭,使得那下人不由得赶紧捂住了鼻子。可是,接下来他的手竟忘了捂鼻子了。因为一个强烈的刺激,几乎完全使他丧失了嗅觉。

那下人的眼睛这时才刚刚看到,尸首堆里竟还蹲着一个人。是一个身穿棕黑色衣服、又矮又瘦、满头白发、猴子似的老婆子。这老婆子右手里攥着一块点燃了的松木片,正在端详一具尸体的脸。从那长头发看来,当是一具女尸。

中日对照阅读:《武蔵野》

2011年1月31日 Tempo 没有评论

武蔵野

   自分は屡屡(しばしば)思うた。若し武蔵野(むさしの)の林が楢(なら)の類でなく、松か何かであったら極めて変化に乏しい色彩一様のものとなって、さまで珍重(ちんちょう)するに足らないだろうと。

   楢の類だから黄葉(こうよう)する。黄葉するから落葉する。時雨(しぐれ)が私語(ささや)く。あらしが叫ぶ。一陣(いちじん)の風小高い丘を襲えば、幾千万(いくせんまん)の木の葉高く大空に舞うて、小鳥の群かの如く遠く飛び去る。木の葉落ち尽くせば、数十里の方域(ほういき)にわたる林が一時に裸体になって、蒼(あお)ずんだ冬の空が高くこの上に垂れ、武蔵野一面が一種の沈静(ちんせい)に入る。空気が一段澄み渡る。遠い物音が鮮かに聞こえる。自分は十月二十六日の記に、林の奥に座(ざ)して四顧(しこ)し、傾聴(けいちょう)し、睇視(ていし)し、黙想すと書いた。

   「あいびき」にも、自分は座して四顧して、そして耳を傾(かたむ)けたとある。この耳を傾けて聞くということがどんなに秋の末(すえ)から冬へかけての、今の武蔵野の心に適(かな)っているだろう。秋ならば林のうちより起きる音、冬ならば林の彼方(かなた)遠く響く音。鳥の羽音(はおと)、囀る声。風のそよぐ、鳴る、うそぶく、叫ぶ声。叢(くさむら)の陰、林の奥に集(すだ)く虫の音。空車荷車(からくぐまにぐるま)の林を廻り、坂を下り、野路(のじ)を横切る響。 

   蹄(ひづめ)で落葉を蹴散(けち)らす音、これは騎兵演習(きへいえんしゅう)の斥候(せっこう)か、さなくば夫婦連れで遠乗りに出かけた外国人である。何事かを声高(こえだか)に話しながらゆく村の者のだみ声、それも何時しか、遠ざかりゆく。独り淋しそうに道を急(いそ)ぐ女の足音。遠く響く砲声。隣の林でだしねけに起る銃音(つつおと)。自分が一度犬をつれ、近所の林を訪(とぶら)い、切り株に腰をかけて書(ほん)を読んでいると、突然林の奥で物の落ちたような音がした。足もとに臥(ね)ていた犬が耳が立ててきっとその方を見つめた。それきりであった。多分栗が落ちたのであろう、武蔵野には栗樹(くりのき)も随分多いから。若しそれ時雨の音に至ってはこれほど幽寂(ゆうじゃく)のものはない。

   山家(やまが)の時雨は我国でも和歌の題にまでなっているが、広い、広い、野末(のずえ)から野末へと林を越え、杜(もり)を越え、田を横切り、また林を越えて、しのびやかに通り過く時雨の音の如何にも幽(しず)かで、また鷹揚(おうよう)な趣きがあって、優しく懐(ゆか)かしいのは、実に武蔵野の特色(とくしょく)であろう。

国(くに)木(き)田(だ) 独(どっ)歩(ぽ) 「武蔵野」
作者紹介:

   国木田 独歩(1871~1908)詩人、小説家、本名哲夫(てつお)。千葉県生まれ。東京専門学校(早大)中退。明治20年上京し、民友社系の青年協会に入会する。明治24年植村正久により受洗。評論、随筆を「文壇」、「青年文学」、「国民新聞」などに寄稿する。明治27年民友社に入社、日清戦争の海軍従軍記者をした。その後、「国民之友」を編集。以後、報知新聞社、民声新聞社、敬業社、近時画報に勤務。明治30年合著「抒情詩」を刊行。明治34年、最初の小説集「武蔵野」を刊行し、以後「独歩集」、「運命」、「濤声」を刊行。主な作品はほかに、「忘れえぬ人々」、「竹の木戸(きど)」、「二老人(にろうじん)」などがある。


 

武蔵野 
      我常想,如果武蔵野的树林不是橡树类的树,而是松树之类,那它也就颜色单调、毫无变化,恐怕无足珍贵了吧。

     正因为是些橡树类的树,树叶才会枯黄,并且由枯黄而飘零。秋雨撒来它低声絮语;暴风雨来临它高声呼号。如有狂风袭向小丘,则千万枚树叶漫天飞舞,如同一群小鸟飞向远方。而当树叶落尽之时,方圆数十里的林子一时全体赤裸,在苍茫高远的冬日天空之下,整个武蔵野陷入一片沉静。空气越发地清澄,连远处的动静也都清晰可闻。我在十二月二十六日的日记中记道:坐林深处,四顾、倾听、审视、默想。在《幽会》(注:此为日本近代著名作家二叶亭四迷所翻译的俄罗斯作家屠格涅夫的短篇小说集《猎人笔记》中的一篇。明治21年(1888年)发表在国民之友上。对日本以言文一致体描写自然环境有很大的启发。)一书中,也有“我坐而四顾,侧耳倾听”的记述。而这“侧耳倾听”又与如今这秋末冬初的武蔵野心境是多么的贴切。秋天,有树林内发出的声响;冬日,有林边远处传来的回响。鸟儿的扑翅声、啼鸣声。风中的战栗声、低吟声、呼啸声、咆哮声。扎堆于草丛中、密林深处的虫子的吟唱声。空车、重车绕林而过、顺坡溜下、横穿原野土路的车轮。而马蹄践踏落叶的声音,则不是骑兵演习时的侦察兵,就是夫妻双双骑马远行的外国人。扯着高嗓门边走边聊的村民们嘶哑的说话声,渐行渐远。女子只身赶路时匆匆的脚步声,孤单寂寞。远处响起的隆隆炮声。近旁的林子里骤然响起的急促的枪声。有一次,我带着一条狗走入树林,坐在砍伐后留下的树墩上看书,突然林子深处有动静,像是有什么东西落地。躺在我边狗马上竖起耳朵,瞪眼朝那方向看过去。可也就是这么一下,再无声息了。大概是栗子的落地声吧,因为武蔵野的栗子树相当多。若是秋雨的话,就不会如此幽寂了。

      山间的秋雨在我国甚至还是和歌的诗题,穿越广袤的原野森林,穿过寺院丛林、穿过田野、又再次穿林而去的悄然怵忽的秋雨之声,是如此的幽寂,如此的闲适。而温文柔美、令人留恋,正是武蔵野的特色吧。

国木田 独步 《武蔵野》
作者介绍:

      国木田 独步(1871~1908)诗人、小说家。本名哲夫。出生于千叶县。东京专门学校(早稻田大学的前身)中途退学。明治20年去东京,加入了民友社系列的青年会。明治24年从植村正久受洗。创作评论、随笔,给《文坛》、《青年文学》、《国民新闻》等投稿。明治27年加入民友社,日清战争(注:即中日甲午战争)时任海军从军记者。之后,编辑《国民之友》。其后,服务于报知新闻社、民声新闻社、敬业社、近代画报。明治30年出版了与人合著的《抒情诗》。明治34年,出版了第一部小说集《武蔵野》,之后又出版了《独步集》、《命运》、《涛声》。主要作品尚有《难忘的人们》、《竹栅门》、《二老人》等。

中日对照阅读:《人与自然》

2011年1月31日 Tempo 没有评论

人間と自然

   人間が、この地球の上で生きて続けていく為には、どうしても、自然の恵みに頼らなければならない。私たちが毎日食べるものも、住んでいる家も、着る衣服も、元はといえば、みな自然界から手に入れたものである。人間は、そのすぐれた技術を使って、自然から得たものを巧みに加工し、自分の生活を豊かにしている。人間にとって、自然は、貴重な資源の宝庫だ。

   また、人間は、宅地を造る為に、山を切り崩して平地にしたり、交通を便利するために、森を切り開いて道路を造ったりしている。或は、電気を起こす為に、川の流れをせき止めてダムを建設したり、工業地帯にするために、海を埋め立てて陸地に変えたりしている。つまり、人間は、いろいろな方法で自然に手を加えているのである。

   このように、人間は、自然が生み出すものを資源として利用する一方、自分たちに都合の良いように、自然の姿を変えて生活している。この地球上で、人間だけが、自然の資源を思う存分に利用したり、自然を改造したりする知恵と力を備えていた生物である。 

   しかし、それだからといって、人間が思いのままに自然の姿を変え、その資源を手当たり次第に自分たちのものにしてしまってもいいのだろうか

伊藤(いとう) 和明(かずあき)  「自然を守る」

作者紹介

   伊藤 和明(1930~ )NHK解説委員。東京生まれ。著書に、「地震と火山の災害史」などがある。


 

人与自然

      人类,为了在这个地球上生存下去,必须仰仗大自然的恩惠。我们每天的食物、居住的住宅、穿着的衣物,究其根本而言,均取自于大自然。人类运用其高超的技能,对得之于大自然的物品进行巧妙地加工,而让自己过上富裕的生活。大自然是为人类提供宝贵资源的宝库。

      同时,人类要造房子,就把山削为平地;要想交通便利,就劈开森林铺设道路。或是要想发电,就把河流堵上建造水库;要开拓工业区,就填海造地。一言蔽之,人们在以各种各样的方式打理着自然。

      如此这般,人类在享用大自然所提供的的资源的同时,又随心所欲的改变着自然。在这个地球上,人类是唯一具备随意利用自然资源、改造自然的智慧的生物。

      但是,就因为这样,人类就可以随心所欲地改变自然,随心所欲地挥霍自然资源了吗?

伊藤 和明  《保护大自然》

作者介绍: 

      伊藤 和明(1930~  )NHK的解说委员。出生于东京。有《地震和火灾的灾害史》等著作。